中国発祥の人気ゲーム麻雀の歴史などについて、詳しく解説するサイト『麻雀の歴史』

●●●麻雀ブーム●●●

【リーチ・ドラ】

戦争中に衰退していた麻雀は、リーチ・ドラという新ルールとともに再び復活します。
昭和21年には東京浅草で麻雀荘の営業が許可され、これ以後雀荘の開業が相次ぎます。
昭和22年には日本麻雀連盟も再建されましたが、戦前からのルールは主流とはならずに、
リーチ・ドラを取り入れた新ルールが普及していきます。
昭和40年代になると村石利夫により日本麻雀道連盟が設立され、リーチ・ドラは日本麻雀
の特徴の一つとも言えるようになりました。

【第二次麻雀ブーム】

昭和44年週刊大衆に阿佐田哲也の「麻雀放浪記」が連載され、昭和47年には麻雀専門誌
の「近代麻雀」が竹書房から創刊されました。
この頃から昭和60年頃までが第二次麻雀ブームでしょう。
戦前のような爆発的なブームではありませんでしたが、その後も麻雀は愛好され、現在では
麻雀漫画や麻雀ゲーム、インターネットなど新たなメディアの力もあり、大衆ゲームとして
定着し広く親しまれています。

【ルールの変遷】

日本へ伝わってきた当初は中国式ルールで遊ばれていた麻雀ですが、大正から昭和にかけ
普及するにつれ、次第に日本式ルールへと変化していきます。
門前清加符の制定もそのひとつですが、サイド精算の消滅と放銃一人払いが日本麻雀と中国
麻雀の大きな違いでしょう。

【サイド精算の消滅】

サイド精算とは和了があった時、上がらなかった者同士が互いの手の状況をもとに点数精算
をするものです。
麻雀が伝来した当初はこのサイド精算も含めて、ルールは全て中国式でした。
しかしサイド精算は計算が面倒なこともあり、しだいに変化しやがて消滅します。

【放銃者一人払い】

中国式ルールではツモ、ロンに関わらず三人払いですが、昭和5年頃になると一般麻雀では
ロンは放銃者払いというルールが急速に普及していきました。
日本独自の放銃者払いルールは、サイド精算の消滅とともに日本麻雀の技法に極めて大きな
変革をもたらしました。
放銃による失点は自己責任となるので、危険牌や手筋の検討が必須となったのです。